飯綱町観光協会
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〜飯綱町を知る〜 

四季ののどかな風景が、のんびりした気持ちにしてくれる、北国街道を中心に栄えた町です。

いいづな歴史ふれあい館
飯綱町は長野県の北部、飯綱山の東麓の裾野に広がる山里で北国街道の宿場町として栄えた町です。加賀の殿様の参勤交代のルートとして、また佐渡から江戸へ運ばれる金の輸送路として重要な役割を果たしました。また豊かな自然のなかで、太古の昔から人々の営みと文化の創造がありました。いいづな歴史ふれあい館は、この風土に育まれた歴史文化を、自然との関わりのなかから学ぶ“みる・つくる・よむ”ふれあいの広場として開設された博物館です。
いつまでも語り継ぎたい、ふれあいの里

霊仙寺山の頂を正面に望む眺望のよい高台に建っています

所在地/長野県上水内郡飯綱町大字牟礼1188
TEL/026−253−6646
FAX/026−253−6649
ホームページhttp://www.town.iizuna.nagano.jp/sosiki/kyouikuiinkai/rekisi2/index.htm
メールrekifure@town.iizuna.nagano.jp

入館料/一般300円(250円)・小・中学生150円(120円)
( )内は、20人以上の団体料金
年間利用者/一般1,000円・小・中学生500円
開館時間/9:00〜16:30(入館は16:00まで)
※天体観測室の利用につきましては、直接お問い合わせ下さい。
休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)年末年始(12月29日〜1月3日)
駐車場/15台(大型バス可)
◇車椅子トイレ・スロープ・エレベータ・自動ドア有り

いいづなアップルミュージアム
  所在地/長野県上水内郡飯綱町大字倉井5
TEL/026−253−1071
FAX/0267−253−4451
ホームページhttp://www.town.iizuna.nagano.jp/sosiki/kyouikuiinkai/apple/top.htm
メールapple-mu@town.iizuna.nagano.jp
◇入館料/一般300円、小中学生200円
◇開館時間/9:00〜16:30
◇休館日/毎週月曜日(祝日と重なる場合はその翌日)と休日の翌日


庚申塚古墳
昭和55年6月17日、飯綱町の史跡に指定された前方後円墳で村でも唯一のものであります。全長45m、後円部の直径約25mです。未発掘なので後円部の内部は不明でありますが、竪穴式石室で古墳時代前期の可能性があるとされています。後円部の中央には入母屋型の庚申祠(年次不明)があり、周囲に寛文期の宝篋印塔などの墓塔等が多く集められています。後円部に立てば眼下に善光寺平が展望でき、当時の支配者を思い浮かばせるものがあります。

三本松の行人塚
塚の上に三本の太い老松が植えてあったことから、通称平出の三本松の行人塚(高さ1m直径約7.5m)と言っています。平成2年平出バイパス工事にともない「平出遺跡群緊急発掘」の折、道路から塚に向って左には、うつぶせになった人骨、右側には、あおむけになった人骨と寛永通宝1枚が発掘されました。当地の埋葬慣行からすると左側のは男性、右側のは女性であると推定されます。まさにこの塚は旅に死した人の埋葬塚と言ってよさそうです。出土地近くにある「弘化三午年正月六日皈元幽雲妙雲霊常陸国画工」と刻まれた墓塔(高さ48cm)がこれにあたるのではないでしょうか。またここは一茶父子別れの地に比定されていますが,史実的には定かではありません。塚にある一茶の句碑には「焚ほと八風如くれ多る於ち者可那」と父阿りて明本の見たし青田原」とある。

一里塚
四ッ屋集落の街道端左右に直径9.5m高さ2mの一里塚がほぼ完全に残っています。昭和45年12月6日村の文化財に指定されています。土地は牟礼神社の所有地であります。江戸時代初めの1604年ごろ築かれました。

矢筒城跡
伝承では永正の頃(戦国時代)城主は島津権六郎で西黒川の殿屋敷に居館したと伝えられていました。ところが昭和54年矢筒城館跡の緊急発掘で、麓に館跡(現飯綱病院)が確認されました。そこでし島津氏の館が後に矢筒城下に移ったことになり、それまで単に山城と考えられていたことが山城と館が合体した平山城であったことがわかりました。
また同61年第2次発掘で、内堀は深さが約4m以上もあるV字形空堀であったことが確認されました。山頂には本丸・二ノ丸があり、北側は急峻、南側は五条の帯郭でめぐらされ、縦堀、馬場も備わり、まさに要害堅固な平山城であります。

トウギョ
別名チョウセンブナ(学名マクロポダス・チネンシス)とも言い、体長7cmぐらいで平出の天水田地帯に生息しています。最近は農薬汚染のない溜池等にいます。原産地は中国・朝鮮で日本では全国的にも珍しく昭和609月「トウギョを守る会」が発足し、その尽力により平成5年1月5日トウギョ及び生息地の溜池5ヶ所が町の天然記念物に指定されました。

牟礼宿
慶長16年(1611)北国街道の全面開通にともない牟礼宿が正規に発足しました。以後、牟礼盆地の交通・経済・文化の中心地として発展してきました。現在、本陣・脇本陣・問屋・旅籠跡があり、東西入口には枡形のある全長600mに及ぶ宿場町の通りが商店街として残っています。その中央には飯綱町牟礼庁舎や牟礼郵便局があります。

永正の地蔵尊
大字牟礼字地蔵堂にあります。平成2年6月1日、村の文化財に指定されました。形体は石造龕で全面以外は板石に囲まれた石室造りで、裏側の板石に地蔵尊の容像が浮き彫りされています。容像の左右に「南無阿弥陀佛 為二親本阿弥陀佛 □正四丁卯三月十一日」と刻されています。その意味は「本阿弥陀佛」と言う法名をもつ人が、父母の供養の為に永正4年(1507)3月11日地蔵尊を建立したと言うのです。この地は矢筒城下表町の末端にあった刑場の跡であることを思う時、おそらく刑場の露と消えた両親の為に造立されたものであろうか。現在は地蔵堂形式の覆堂の中に安置され、四ッ屋・福井集落の有志の人達によって「地蔵尊保存会」が作られ立派に保存されています。

武州加州道中境の碑
武州(江戸)と加州(金沢)の中間点を示す立石が、小玉集落の中央旧北国街道端に立っています。天保9年(1838)52歳ではじめて江戸から金沢にお国入りした第12代前田斉広の正室真龍院(京都の前関白白鷹司政煕の女)が書いた紀行文が残っています(金沢市立図書館蔵)。その中に「今日や金府(金沢)江府(江戸)の中道と思えば、いとヾ心細くて、住み捨てし跡の名残りを思い出の袖に露その旅の中道」と歌っています。旅の中道はまさに、小玉の道中堺碑を見てのことでありましょう。碑は町の史跡に指定されています。


本尊阿弥陀如来

親鸞聖人像

願法寺の絵解き
枕石山 願法寺
称新井に願法寺と言い浄土真宗大谷派であります。開基は入西坊道円の次男日野唯円で、常陸国大門村より嘉元元年(1303)上野国新田に一宇を建て、以後小田原-滋賀日野-信州松代と移り、元和元年(1615)現在地に居住したものです。明治初年までは全国的に出開帳中心の寺でした。本尊阿弥陀如来(室町時代後期の作、もと京都御所内仏殿にあったと伝える。端正な姿、繊細な切金模様が美しい。)親鸞聖人像(浄土真宗の開祖、親鸞聖人の風貌のよくあらわした肖像。もと京都の本願寺にあったものを譲られたとされる。)は村の文化財に指定されています。また浄土真宗願法寺の創立由緒を絵巻物を指し示しながら語る伝統芸能として願法寺の絵解きがあります。江戸時代さながらの古風な文語体での語り口は、聞く者に不思議な感動を呼びおこす。住職夫人の日野多慶子氏が伝承者。その他寺宝として善光寺分身佛、後陽成天皇の御宸翰等が多く秘蔵されています。


紙本墨書高山寺加賀侯往還文書
白鳥山高山寺
真宗西本願寺末で慶安4年(1651)更科郡角間村より転寺したとのことです。江戸時代百万石の大名加賀侯が参勤交代の折、平出の坂をひかえて高山寺境内は小休の場所に利用されました。その時家老から高山寺へ宛てた手紙等が「紙本墨書高山寺加賀侯往還文書」(いいづな歴史ふれあい館に寄託、展示)として三巻が村の文化財に指定されています。今も、その頃使われた名水の井戸が残っています。大門の入口に芭蕉の句碑があります。「しばらくは花の上なる月夜タ哉  芭蕉」裏面には「俳連若連  天保十五歳菊月日」とあり、当時平出は俳句が盛んであったことを語っています。


紙本墨書牟礼神社古文書
牟礼神社
祭神は健御名方神で諏訪社であります。明治15年の『信濃国上水内郡神社明細帳』(県庁蔵)によると、由緒の大要は次のようです。住吉は字横吹にあったが後に矢筒城の東字馬場先(古宮)に移った。城下の表町の人が牟礼の宿場町に移って遠くなったので、慶安4年(1651)に現在地に移りました。神社には牟礼宿の貴重な古文書が所蔵されています。現在本殿の裏に境内社として伊勢社・出雲社・秋葉社・稲荷社・山神社・佐軍神の六社があります。7年に一度の御柱祭(諏訪神社と同じ七年に一度の申寅の年に行われる(7月)。木遣は諏訪から師匠を迎えて伝授されたといわれている。)があるのは旧牟礼村内では、このお宮だけであります。

高岡神社と大杉
明治政府の一村一社の方針により明治41年12月1日袖之山神社、坂口神社、地蔵久保の高原神社、高坂神社、高坂の山神社、茶臼山の伊勢社、野村上神社、中宿の伊勢社、横手神社、新井神社、芹沢神社、新井の三社権現、地蔵久保の山神社、北川の伊勢社、袖之山の山神社、坂口の山神社、夏川の山神社以上17社を夏川に飯綱社の地に合併して時の村名をとって高岡神社としたのであります。

戦後は新井神社・芹沢神社・三社権現は分社して古町神社となりました。
毎年おこなわれる秋祭は非常に盛大であります。殊に高坂の男獅子の和藤内(大昔、里えお荒らしまわり良民を苦しめた男獅子が空手武芸者の和藤内に倒される筋)は民俗芸能として高く評価されるものであります。社宝として飯綱社時代の狐に乗った烏天狗の神像が秘蔵されています。寛永18年(1641)の墨書銘がある立派なもので、明治の合併までは7年に1度ご開帳をしたようであります。

鳥居の奥には樹齢600年の大杉が八本立ち並び、昭和44年11月6日町の天然記念物に指定されています。(かつて8本ありましたが、平成2年に落雷にあい、うち2本が伐採されました。その年輪から樹齢は350年であることが解りました)また神社の北側に直径約4mの円墳4個があります。これ等は皆、飯綱社が神仏混淆時代の飯綱信仰の歴史的な遺跡であります。


諸磯a式鉢形土器

母口式尖底土器

磯式b特殊浅形土器

磯式b特殊浅形土器
丸山遺跡
高坂の字丸山の県営圃場整備のため、昭和52年8月緊急発掘されたものであります。遺構としては縄文時期前半の開山式期の住居址、31の土こうが発掘されました。また出土品の中で縄文早期後半に位置づけられる完形の尖底土器が検出されたことは県内でも初めての例で全国的にみても貴重なものであります。今、現地の農道端に「丸山遺跡」の石標が立っています。

新井坂(権現坂)の一茶句碑
この坂は旧坂中街道の急坂で近くに三社権現があったので別名権現坂とも言います。坂の途中に俳諧寺一翁が明治32年建立した自然石の一茶句碑があります。「花はかげあかの他人はなかりけ理」この句は一茶の『おらが春』に載っています。一翁は本名上野源作で新井の出身でしたが惜しくも晩年この地を去られました。

飯綱権現太鼓
霊験あらたかな飯綱権現の徳を讃え、豊かな郷土を願って力の限り打ち鳴らす勇壮な太鼓である。

田山花袋 田山 花袋(タヤマ カタイ)の碑

飯綱町観光協会 〒389−1293 長野県上水内郡飯綱町大字牟礼2795-5(飯綱福祉センター内)

TEL:026-253-7788 FAX:026-253-2323/メール・staff@1127.info